水子供養の心
水子の存在は古くからあった。現在のような人工中絶がない時代でも流産死産はあったし難産で母子ともに死ぬ事もあった。そして昔の人は水子に対しても認識が深く位牌を作ったり墓を作って供養している。歴史のある家の仏壇には何々家孩の霊という位牌がよくあるものである。
ところが近年医術の発達とともに人工中絶が一般化したために新しい形の水子が誕生することになった。そして医学の進歩とともに人工中絶を安易に行い苦痛も伴わないところから、小さな生命の存在をモノのごとくに考えてしまい、親として子に対する愛情を失ってしまったわけである。悲しいことであり恐ろしいことである。
しかし今これが見直され何らかの形で供養しなければならないと現代人が自覚しつつあることは誠に嬉しいことである。外国においても関心を集めている。人間の生命が何であるかという事を思い直す風潮が生まれつつある。
ところで、この水子供養を多くの人が「たたる」という感覚で受けとめ、恐ろしいことのように感じているのは遺憾である。因果関係からみれば「たたる」ということに似た現象が起きることも時々あるが、「たたる」から「たたらない」からということで供養するものではない。
水子供養は親の愛情から親の当然の役目として義務として、心から行うものである。そして子を思う親の心が良い結果を生むのであり、またその心が今生きている子供にも、日常の生活にも、夫婦の間の心にも影響し良くなるのである。とにかく先に述べた宿命に当たるものであるから気付いた時には、直ちに正常化しておきたいものである。
畜生と呼ばれる犬や猫のペットにも愛情を感じて墓を造る人があるのに、自分の子に対して思いやりもかけない人がいるのはまさに心の荒廃である。
たとえ子の命といえども親が所有することはできないのである。
人間の生命は地球より重いといわれるが、まさに水子供養というものは生命の尊厳に関わるテーマである。
三浦道明著「愛もし生まれていたら・・・」(文化創作出版)より抜粋
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