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先祖供養

先祖供養について
ご先祖供養とは、わが ’いのちのルーツ’ に感謝する行為です。
七分獲一(ひちぶんぎゃくいつ) お供養の功徳を七とすると、その七分の一がご先祖に及び、残りの七分の六が供養した人に及ぶとあらゆる仏典に説かれています。七分の六もの果報をうけるわけですから、ご先祖供養をおろそかにすると亡き霊が果報をうけないことは勿論、残された者も果報は0(ゼロ)のため、幸せが逃げてしまうことになります。
ご供養の方法
1.墓所(納骨御仏壇や墓地)にお参りをして、お坊さんにお経をあげてもらったり家族みんなで手を合わせお祈りする。
2.仏壇にあるご先祖のお位牌にお経をあげたりお供えものをしたりする。
3.お盆、春秋の彼岸、命日や〇回忌に法要を営む。
仏教は三世因果の道理を説くものである。現在を中心に過去、未来に人間の生命もつながっているわけである。臍の緒でつながっていると言っても良い。そこで人間は身・口・意の三つによって様々な行いをなす。そしてこの行いによって生じた善悪の原因は、その人間の因縁となり、この三世にわたって作用するものである。現世において善きこと、悪しきことを行った結果はその人間が生きている内に現れることもあるし、遠い未来において現れることもあるのである。もし現世にそれが現れないときは死後その結果が現れる。積善の人はそのよき果報をうけて幸せになり、悪行の強き者は悪果をうけて苦しむのである。
 先祖供養というものはこれら亡くなった人の霊に対して、ますますよき道に歩むように、また悪道に落ちて苦しみ悶える霊に対しては、その苦悩から逃れて安楽の道へさし向かえるように行うのが本義である。
 追善とは追福修善の略で、僧侶を招いて仏壇を飾りお経を読んで頂くのは、霊に対するもっとも良き供養である。供養(供給資養)はご本尊にまたは亡き霊に供物を供え、読経をするのも供養であり、親族、知己や僧侶に食事を施すのも供養であり、また葬儀のとき貧者に施すのも供養である。このように供養をする心が起きるというのはよい原因を発することであり、それによって幽界に去った霊は歓喜するとともに力づけられ、よいめぐりが生ずるのである。
 だから、これを回向という。回向とは(回転趣向)の意味で、供物を供えたり、読経をするその功徳をめぐらし転じて、亡き霊はむろん、拝む人にも仏果をめぐらしてよい方向にむけるというのである。「大乗義疏」という仏典では、菩提回向、衆生回向、実際回向の三つをあげている。菩提回向とは悟りの心を求めることでこれが原因となって、徳を積むことを言う。衆生回向とは一切人間平等の観念を持ち、すべての人を愛するために、その功徳が及ぶことを願うことである。三つ目の実際回向とは、現世においては、いろいろの迷いがあるが真実の知恵と真理を会得し、すばらしい人間たらんとすることである。
 そしてこれらの供養を行うとき、全部の功徳を七とすれば、供養を受けたその霊は七分の一を得られ、残る七分の六は生きているもの、すなわち供養を行った者が得る、と説かれる。これを七分獲一という。要は先祖あっての自分である。自分を、今日あらしめるのは先祖の存在である。平たく言えば、この先祖に対する供養は、感謝するということである。
 ところが現今、世上、先祖が祟るとか、先祖の霊のためよくないことが起こる、などという人がいる。人間は親子であっても激しく憎み合う場合もあるわけで、まことに複雑なものだが、一般的には、親は子が可愛いわけで、先祖が子孫に祟るなどはあり得ないことである。それも数代前の先祖が数代あとの子孫に祟るだの、憎むなどといった感情の軋轢がそもそも生ずるはずもないわけである。
 かりに、もし親子の間で、憎しみ合うという関係が生じたとしても、先祖と自分との関係は血でつながっているわけだ。そこで、巷間よく言われるような形で先祖の供養がなされていないという理由でもって、不可思議な現象が生ずるというのは、常識的にも奇異なことと言わねばならない。そこでこの先祖の霊を気に置き換えると理解しやすくなる。
 人間という生体に宿った命体は、人間が死を迎え生体がほろびると、命体は再び大宇宙に融合される。そしてまた新しい生体にその命体が宿り、人間としての営みを続けるわけで、この繰り返し、これを輪廻転生というのが、この生体の部分、これを気と解すると不思議な現象も理解できるわけである。
結局、この命体という霊、気と呼ぶものが穏やかになっていないということである。
 仏教的に言えば、成仏、浄化されていないのである。換言すれば、鎮魂というが、魂が鎮まっていないのである。だから、供養と言うことは、これら魂、気を鎮め、浄化する、その方便であるといえよう。したがって、先祖供養を行えば悪因となっていた、これらの霊、あるいは気というものが鎮まり善因へと転化し、その末孫によい結果を及ぼすものである。また供養するものも、よき心、祈りの心をもつが故に、自分自身が浄化され、宿命のラインにおいて正常化され、よい結果を得るわけである。ところで先祖供養とはいってもその存在が明らかにならぬと、供養する対象が見付からない。そこで位牌を作り、仏縁を得たという、その縁をもって戒名を授け、これを拝み、供養するのである。霊、気という観点からすれば、この位牌にこれらが宿っている、だから、位牌をしつらえ開眼をするわけである。すなわちお性根入れ、気を入れるわけである。
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自宅で唱えるお経
仏説摩訶般若波羅蜜多心経 

ぶっせつまかはんにゃはらみつたしんぎょう 

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時

かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみつたじ

照見五蘊皆空 度一切苦厄

しょうけんごうんかいくう どいっさいくやく

舎利子 色不異空 空不異色 色即是空

しゃりし しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう

空即是色 受想行識 亦復如是 舎利子 

くうそくぜしき じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ しゃりし 

是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 

ぜしょほうくうそう ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん 

是故空中無色 無受想行識 

ぜこうくうちゅうむしき むじゅそうぎょうしき 

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

むげんにびぜつしんい むしきしょうこうみそくほう 

無眼界 乃至無意識界 無無明 

むげんかい ないしむいしきかい むむみょう 

亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 

やくむむみょうじん ないしむろうし やくむろうしじん 

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 

むくしゅうめつどう むちやくむとく いむしょとくこ 

菩提薩垂 依般若波羅蜜多故 

ぼだいさった えはんにゃはらみつたこ 

心無〓(四圭けい)〓(石疑げ) 

しんむけいげ 

無〓(四圭)〓(石疑)故 

むけいげこ 

無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 

むうくふ おんりいっさいてんどうむそう 

究竟涅槃 三世諸佛 

くきょうねはん さんせいしょぶつ 

依般若波羅蜜多故 

えはんにゃはらみつたこ 

得阿耨多羅三〓(クサカンムリに貌 みゃく)三菩提 

とくあのくたらさんみゃくさんぼだい 

故知般若波羅蜜多 

こちはんにゃはらみつた 

是大神呪 是大明呪 

ぜだいいじんしゅ ぜだいみょうしゅ 

是無上呪 是無等等呪 

ぜむじょうしゅ ぜいむとどうしゅ 

能除一切苦 真実不虚 

のうじょいっさいく しんじつふこ 

故説般若波羅蜜多呪 

こせつはんにゃはらみつたしゅ 

即説呪曰 

そくせつしゅわつ 

羯諦 羯諦 波羅羯諦 

ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい 

波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 

はらそうぎゃてい ぼじそわか 

般若心経 

はんにゃしんぎょう
      

宗教法人 円宗院は、天台宗系の流れをくむ歴史のあるお寺です。神奈川別院は、立派な伽藍もなく、小さな心の庵です。みなさんが気軽に集い、憩えるよう門戸は大きく開けております。仏教にふれていただき、心安らかにお過ごしになることを心より願っております。住職 円宗院神奈川別院  
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