特殊な事情のある方のために他に知られることなくソッと供養したい

 水子に関しては特殊な事情を持っている人が多い。いつも感じることは、このような人こそがどうすれば良いか悩んでいるということである。夫婦以外の関係でできた水子。特殊な家庭事情の場合。結婚前に現在の夫、妻と違う間でできた水子。またこれを公にすることによって夫婦間に決定的な亀裂を生ずる事実をもった人などさまざまである。愛し合った夫婦であっても過去の傷が明らかになるのは不愉快だし抵抗がある。
 このような場合、匿名で供養をしている。この場合、お位牌裏の施主名のところは某主とする。そして必ず連絡不要と明記してもらっている。直接来院参拝の場合は申し出られてもよいし、郵送の場合は明記して貰えば一切の連絡をしないことになっている。よほど心配な場合は都道府県名のみ(東京都とか京都というように)書いて申し込んでもらうようにしている。ただ明記していない場合は諸行事の案内をすることになっているので、特殊な事情の人は必ず申し出て欲しい。
 水子の場合は夫婦間のことであっても他人に知られたくないものである。ましてや特殊な事情のある場合は伴侶や家の者でも知られたくない。そのため慎重を期しているのである。

自分の水子でなくとも供養するということ善行と積善
 自分自身に水子がなくても兄弟の系列に水子があったのを両親から聞いているので供養をしたいとか、また特異な例では、他人だがあまりの不幸が続いているのを見て何とかしてあげたいという例がある。本来なら特異な例については本人が気づくべきなのだが、神仏を信じない人であるため見るに見かねて他人が供養にみえることがある。
 兄弟姉妹でも他人でも供養を躊躇している場合には、他の人が供養するのは好ましいことである。先にも述べたように善行を積むということは、どのような形でもよいわけである。布施をする場合でも自分に力がなく物や金を布施できない時は、その布施をする心をもつこと自体が素晴らしい布施なのである。
 自分が具体的な善行をしなくとも、善行を喜ぶ心が布施であるということであるから、自分以外の水子の供養であっても素晴らしい善行を積むことになり、その善行によって善果を受けるわけである。

宗派、宗旨、宗教に関係ない

 水子供養の場合、宗派、宗旨、宗教に一切関係はない。仏教の考え方は本来広大無遍のものでこだわりはない。宗派、宗旨といえどもその源は釈尊である。後世傑出の人が出て一宗を建てたにすぎないわけである。
 仏は他の宗教だからとといって救済しないということはない。人間等しく大慈大悲の心によって救われるのである。水子供養ばかりでなく先祖供養、厄除け三年祈願、特別諸祈願もまた同様である。
 ただ先祖供養の場合などでどうしても自分の宗派によって法要をしてもらいたい場合は、その宗派の僧侶を伴ってもらいお堂で法要を営んでもらっている。要は水子供養とはこれらこまごまとしたことに関係なく、自分の子供に対する親の情をもって、この世に生まれなかった子供の霊を慰めるということである。これは親の役目であり義務なのである。この祈りの世界には人間が考える形骸的で観念的な宗派、宗旨というものは存在しないのである。

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