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法話
第1話 「お地蔵さんヘルプ」       

 また、誰かが呼んでいる。苦しんでいる人はどこだ?
悲しんでいる子供はどこにいる?あなたの全ての苦しみを取り除いてあげましょう。
 右手に持っている錫杖は、様々な魔を払いのける「ステキなステッキ」、左手に持っている宝珠は、あなたの欲しいものを何でも出して下さる「ドラえもんのポケット」。さあ、大きな心の声でお地蔵様を呼びましょう。 お地蔵さんは、子育地蔵・水子地蔵ともいわれ、子供の守護仏でもあるとされています。空也上人作と言われている地蔵和讃には、次のように説かれています。
 「宰の河原では、若くして亡くなった子供達が遊び戯れている。畳は小石を持ち運び、父恋し母恋しの思い出にもだえて、せめてもの回向のために、いたいけな手に塔を積む。1つ積んでは父のため2つ積んでは母のため、3つ積んでは兄前のため、と一心不乱に拝んでいます。
 しかし、夜になるとそこに鬼が現れ「汝らは幼少にして、この地獄に来たのであるが、親より先に死ぬという罪を背負っている。そんな簡単にあの世に行けると思うな。こらしめてやる」鬼は鉄の棒を振り回し、子供達を追いかけ廻る。子供達は、泣き叫びながら、逃げまどう。助けを求めても、両親はいない。 そこに、虚空の中より光明があらわれ、大慈大悲のお地蔵様が出現される。「この錫杖のところに身をよせよ、汝らの父や母は、さぞやなげき悲しんでいることぞ。しかし、もう戻ることはできぬ。これからは我が六道能化の地蔵尊であるから我を父と思え、母と思え」と救って下さると説かれます。お地蔵さんに出会ったら、お祈りしましょう。
 つちぽとけ教室では、お子さんの無病息災を願って、又、供養のためにと一生懸命ご自分でお地蔵様を作っておられます。心を込めて、祈りを込めて「うまいも下手もない」世界にうの仏様。お地蔵様は必ず救ってくださいます。だからみんな祈るのです。
「南無地蔵菩薩」
第2話 「お写経ラブレター」 

 今、お写経がブームだそうです。「自分を見つめ、心を平安にし、静かな時間を持つ。」 慌ただしい現代人にとって「お写経」という修行によって、心が癒されているのでしょう。
 しかしながら、そのお写経の心や功徳・作法についてはあまり知られていません。
お写経は、ただ写せば良いと言うものではありません。
本来の目的は、仏法の弘宣流布のためですが、日本において多くは死者の供養を願って行われてきました。 先日、37年間かけて書写した1万巻のお写経を寺に奉納された方がありました。
最愛のお母様を亡くされ、その供養のために一生懸命書写され、書き終えたときには、お母棟が夢枕にたたれたそうです。その間2回の心臓手術や、交通事故など、すべて大事に至らず、これも母が守ってくれたのだと涙されていました。まさにお写経の功徳であり、母の成仏(あの世での幸せ)を願うと同時にお母棟も子供の幸せを祈っておられたことでしょう。
 さて、私は、お写経をするときは、ラブレターを書くようにとお話しています。まず、好きな相手が目の前に座っている事を想像します。目前にいるのですから、自分も身なりを整え、背筋を伸ばし、部屋中にいい香りを漂わせ、そして相手に話しかけるように慎重に一字ずつ心をこめます。筆の苦手な人はペンでも良いのですが、一世一代のラブレターを書くのですから、安物のペンではいただけません。一字一字に相手を想いながら、書写すれば、その心は必ず伝わることでしょ、つ。 つちぼとけでは、一字だけ書写する「一文字写経」を奉納してから作陶しています。
そのような簡単なお写経もありますので、ぜひおはじめになることをおすすめします。
第3話 「ダブルサイズの骨壺」

ヴィトンやシャネルと言ったおしゃれをする人でも、最期の衣装である「骨壺」の事を考える人は少ないでしょう。葬儀社が用意してくれる味気ない、みんなと同じの白い骨壺で満足ですか?
骨壺も「自分流」に作ってみてはいかがでしょうか?
私の骨壺には、両サイドに私のお相撲さんの様な手形をいれ、生前戒名。裏面は「ありがとう」と自筆で大きく書いてあります。手形は、妻や子供達と握手出来るように。「ありがとう」は、深い感謝の心を込めて。平塚・大和・南多摩・小田原・町田・北千住・新宿・浦和・蒲田の各教室にて「つちぼとけとお骨壺教室」を開催しておりますが、すべてに共通することは、楽しみながら、笑いながら骨壺が作ら
れると言うことです。自分がこの中に収まるのだと思うと、不思議と「死」を前向きにとらえる事が出来るようです。中には、六地蔵を骨壺に写仏し、お地蔵さんに託される方。好きな華の絵を描かれる方。自分のメッセージを書かれる方。最近は、ご主人と一緒に収まるべく「ダブルサイズの骨壺」をという方がありました。ほほえましい限りですが、死んでからまで一緒にいたくない!と言う人の方が多いのではないでしょうか?
地震や火災の準備をしておくことで安心するように、もしもの時のために、生前に準備をしておきましょう。「死」を見つめるということは「生」を問う事である。
「生」を問うことは、自分自身を見つめることであります。合掌
第4話
「心のダイエット」 
  モノが豊かになれば「心」も豊かになると思われてきました。
モノも心も昔と比べれば確かに豊かになってはいますが、心はさらに豊かさを求め、止まることを知りません。その心がいつしか「欲」となり、欲するが故に「悩み」となっています。
情報が氾濫すればするほど何を信じて良いのかわからず、心は日に日に疲れ果て、年間の自殺者が三万人を越えるほどまでになっています。
 「肥満になった心」に「座禅」というダイエットプログラムで心をスリムにしてみませんか?
「座禅」というと、一般的には辛くて厳しいことが連想されますが、読んで字のごとく「座る」ということです。重要なことは、ただ身体を座らせるだけでなく、「心」を座らせることです。
これは簡単なようでとても難しいことです。試しに何も考えず10分間目を閉じてみて下さい。
140〜160億といわれている脳細胞が暴れ出し、考えないようにすればするほど仕事や家庭の事が頭の中を駆けめぐります。日常生活の様々な現象が五感を通じて「心」を動かしてしまうのです。まさに24時間フル稼働です。
そんな己の心をとらえ、立ち止まって観察してみる。
すると「欲」という脂肪で肥満化した自分の「心」に気づきます。
心にマッサージを行い、その脂肪を少しずつスリムにしていく。
外見ではなく内面から磨いていくのです。いつしか心は平安になり、落ち着きを取り戻し、悩みや恐怖を取り除くことでしょう。 
*当院では、脳波測定器を用意しています。禅定状態といわれるアルファー波を測定し、
心の状態を科学的に確認する「現代座禅」も取り入れています。 
円宗院「座禅の会」:5月21日(火) 14時〜 
会場:円宗院 神奈川別院
平塚市東中原2−17−7
要予約:0463−33−9004
参加費:千円
第5話
 いざ!心のマッサージへ 
物質的に豊かになった現代人。しかし心はなぜか満たされず、不平・不満・愚痴・不安・怒り・孤独など様々な心の悩みを抱えています。「身体」と「心」は、車の両輪のごとくお互いが正常であってこそスムーズに前に進む事が出来るのであり、片輪が大きくとも小さくともいけません。ましてやパンクでもしようものなら地面とすれ、火花を散らし、いずれは止まってしまいます。
 みんな悩みはあるのです。
その悩みをいかに解消するかが問題なのです。
心が疲れたら、お寺に行こう!そして心のマッサージを受けましょう。一人で悩んでいなくて話してみて下さい。
ホームページでは「お寺ネット」http://www.otera.net/電話では「仏教相談センター」0120-4194-15どちらも無料で各宗派の僧侶が相談を受付してます。必ず心が軽くなりますよ。
人は一人では生きていくことは出来ません。様々な「ご縁」によって成り立っています。何気なく食べているお米や野菜、肉も様々な苦労を経てこそです。「一木一草仏性あり」といって、植物も動物もすべてに仏の魂が宿っていて、その命を頂くのです。つちぼとけは、それを祈りの形にするのです。
お粥の会ではその「御心」をいただきます。
目にみえない、御仏の大きなご縁を頂戴し、一瞬一瞬、一粒一粒を大切にして、生かされている事に「ありがとう」と感謝するのです。「この食は、仏の恵み 感謝して 心静かに いただきます(ごちそうさまでした)」
 「お粥の会」ご案内
 日時:毎月第4金曜日 正午〜13時
会場:平塚市東中原2−17−7 円宗院
申込:0463−33−9004
参加費:無料
その後、希望者はつちぼとけを造仏します。
第6話 宿命の正常化 

「困った事や、悩み事があったらだまされたと思ってお墓参りしてこい!」
と子供の頃、父より聞かされたものです。
子供ながら、ほんまかいな?と疑問をもつのも、その因果関係が証明されないからです。
お墓参りをすれば、成績が上がるか?とまあ、学校で教えられる1+1=2という方程式で考えてしまう、現代っ子でありました。

例えば、お金に困った方が、お墓参りをして、何とかするように頼んでみる。しかし、ご先祖は、お金を融資したりしてはくれません。
 そんな時、偶然に友人に出会い、話をしている間に友人が融資してくれることになる。その人からすれば、いま必要な時実際にお金を用立ててくれる友人は、先祖や仏様より有り難い存在になることでしょう。しかし、それは、もっと奥の方でご先祖の導きがあったから他ならないのです。

これを、仏の世界では、仏の応身といいます。
じつは、ご先祖が、友人に出会い道が開けるように導いて下さったものなのです。
ご先祖は、必ず見守っていて下さる。そして導いて下さる。
最近、自分は分家したからご先祖供養はしなくてもよい。といった方がおられます。ご先祖をまるで、他人のことのように思っておられるのです。
しかし、命の流れ、DNAとでも申しましょうか、ご先祖があるから、今の自分が存在し、そしてご先祖に守られている事に気づいておられない。

先月、家族でお墓参りをして参りました。歴代のご門跡のお墓は、宮内庁管理の山の中にあり、大雪の中、身重の妻と子供を連れてお参りしてきました。
今、新しい命が授かった事へ御礼と、無事に出生することを願うと共に、元気で過ごしている報告にお参りしてきました。
ご先祖に守られ、導かれ、我々が今ここに元気で生活している事への感謝を込めて・・・。
お彼岸に寄せて、西に向かって少し考えてみませんか。
第7話 「我が心に問う」 
今、わが心に問う。
  この存在とは何ぞや

思えばここに在りと感ずるは一切空にして仮諦(けたい)なりまさに色即是空の世界なり
もろもろの行いは常なく真理を知るとき、これすべて「空」なり人、生まれたがゆえに、死なねばならず
名あれど財あれど老いと病とより逃れるすべはなし
しかし
人それぞれにこれらを抱え人それぞれに人生を歩まん
よって人生、

生き抜くところに意味あり、意義あり無限の可能性あり

人、身・口・意の三業(さんごう)によりてすべてを行ずしかれども往々にして、我が身の大きさに思いを限り
眠れる心の力 その大きさを知らず 看過す。偉大なる心の働き 広大にして無限なり
また、
我が身いずこより来たりて
いずこに去るかを知るは、仏法の根本なり
我を生ずる父と母 その出生の由来をしらず、その生を享(う)くる我が身も、去るところを悟らず
過去を顧みれば冥々としてそのはじめを見ず、未来に臨めば莫々として、その終わりを尋ねず
「人、いずこより来たりて   いずこに去るものぞ
  人、いずこより来たりて  いずこに去るものぞ」

人間の人生とは人それぞれに異なる。わずか50歳でも長いと思う人もあれば、90年も生きていて短いと思う人もある。さまざまである。
しかし、人間には、この世に生をうけたその瞬間から、それが短かろうと長かろうと、また、短く感じようと、長く感じようと、生きなければならない。
 ここに人生というものが存在するわけである。人生と言うことを一言で言ってしまえば、生まれてから死ぬまでと言うことになるが、その長短に関わらず、一度限りであるということは間違いない。そして、再び繰り返すこともできない。
「人いずこより来たりていずこに去るものぞ」というように考えてみると、人間は有限の中の未知の終焉に向かって一歩一歩近づきながら生きているわけである。
だからこそ、この一刻一刻というものがこの上もなく大切であり、終焉、すなわち死というものを覚知する事によって、生の喜びが鮮明に浮かび上がってくるのである。
第8話 自分の骨壺をつくる

「骨壺」というと、縁起が悪い!という方がおられます。
しかし、仏教的に言えば、寿墓や生前戒名といった「死」の準備をすることは、かえって良いことであり、「延命長寿」につながるとされています。
 最後に着る自分の衣装である骨壺が、葬儀屋さんが用意した、味気ないものではなく、自分らしい骨壺を作りたいとお考えになりませんか?
 実際、自分が作ってみて、とても楽しい気分で作陶出来ました。「死」というものを見つめ、自分の歩みを考え思うとき、自然と笑みを浮かべたり、涙している自分の姿がありました。
 つちぼとけの延長線上として、各教室で骨壺教室を平行して行います。
希望者は、お申し出下さい。

「一生懸命自分の骨壺を作る。これで安心だと熱心に作る。しかし、出来上がると、まだ入るのがいやになってくる。」
そのように水上勉さんも言われています
第9話 「大切な水子の供養」  
日本は、中絶天国であると外国の記者がコメントしていた事を思い出す。
特に最近の若者は、命を軽視する風潮にある。
 先日テレビを見ていると、女子高校生が自分の中絶前のエコー写真をとり出して「自分のお守りです」と平然とした顔で語っていた。自分が絶っておいたにも関わらず、詫びるどころか、自分を守ってくれるなど、いったいどういう神経なのか耳を疑ってしまう。
 昨日のニュースでは自宅で出産し、赤ちゃんを玄関に放置し、逮捕されたと報道されていた。
法律的な時間の問題だけで、一方はテレビで笑いながら登場し、一方は、犯罪者として逮捕されている。この二人はたして、どれだけの差があるだろうか?
 悲しいかな、親の意志決定でこの世に生を受けることが出来なかった子供達の魂は、どこに召されていくのか?
 空也上人作と言われている地蔵和讃には、次のように説かれている。

賽の河原では、若くして無くなった子供達が遊び戯れている。昼は、小石を持ち運び、父恋し、母恋しの思い出に、もだえて、せめてもの回向のために、いたいけな手に塔を積む。1つ積んでは父のため2つ積んでは母のため、3つ積んでは兄弟のため、と一心不乱に拝んでいます。
しかし、夜になるとそこに鬼が現れ「汝らは幼少にして、この地獄に来たのであるが、親より先に死ぬという罪を背負っている。そんな簡単にあの世に行けると思うな。こらしめてやる」鬼は鉄の棒を振り回し、子供達を追いかけ廻る。
子供達は、泣き叫びながら、逃げまどう。助けを求めても、両親はいない。
そこに、虚空の中より光明があらわれ、大慈大悲のお地蔵様が出現される。
「この錫杖のところに身をよせよ、汝らの父や母は、さぞやなげき悲しんでいることぞ。しかし、もう戻ることはできぬ。これからはわれが六道能化の地蔵尊であるから、我を父と思え、母と思え」
と救って下さる。
いつしか、お地蔵さんは、子供を守る仏様と言われるようになります。
道ばたでお地蔵様に出会ったら、「どうか我が子をお救いお導き下さい。」つちぼとけを作るのであれば、どうかその功徳力を照見ください。」と祈りましょう。
我々が出来ることは、ただ祈るのみです。
 
 南無地蔵菩薩

   

宗教法人 円宗院は、天台宗系の流れをくむ歴史のあるお寺です。神奈川別院は、立派な伽藍もなく、小さな心の庵です。みなさんが気軽に集い、憩えるよう門戸は大きく開けております。仏教にふれていただき、心安らかにお過ごしになることを心より願っております。住職 円宗院神奈川別院  
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