第三部 葬儀の心得

T 葬儀であわてないために

 1 葬儀の意義


 滅びゆく肉体の埋葬と鋲魂を願い、故人の徳をたたえ、死を客観的に自覚するのが葬儀である。
 何人たりとも自分の死を見ることはできないわけで、常に経験するのは他人の死である。それゆえにこの儀式は、人間の終焉にふさわしい厳粛なものであるべきであり、また生きているものにとっても、死をもっとも身近に知る最大の時である。それはともすれば、見失いがちな本来の人間の姿、人生というものを再発見し、生きているということを問い直す良い扱会ともいえる。

 いくら頑強な身体を誇ったところで、必ず人間に訪れるのは、この死である.
 釈尊はその教えの中で、四苦を説かれ、生、老、病、死といわれたが、その最後にくる誰も避けることのできない死ぬ苦しみというものを知るときでもある。そして故人の親近者はいうに及ばず、参列のものも無常観を味わうひとときでもある。
 平素、心にもとめなかった僧侶の読経が、まことに尊くありがたく耳に響くのもこの時である。各種の法要や月参りで聞くお経というものは、その意味もわからぬ俗人にとって、退屈なものの一つであるが、葬儀で聞く読経というものは、その意味がわからなくても心に訴えるものが違う。
 これは死を現実に目の前にして、自らの生を考えるからである。確かに存在していた肉体が、目の前で滅びるからである。そして現世では、二度とめぐり合うことのないこの一瞬を自覚するからである。まさに無常観である
 去来する故人の思い出、あの頃、あの顔、あの姿、あの声、やさしかった心、強くたくましい人、すべてが狭縮されるのもこの時である。それゆえに葬儀というものは、参列者の心の中にさまざまな思いがよぎっているものであるから、華美を避け、ひとしく冥福を祈れるようなしつらいというものが肝要である。
 なお葬儀というものは、結婿式などの祝いごとといったあらかじめ準備のできるものではない.ある日突然、まったく予期せず訪れるものであり、故人がたとえ病いにふせっていようと、その死を予知することは困難である.特に故人の肉親においては、常に一抹の希望をもっているもので、医師からその死をあらかじめ知らされようとも、一績の望みをもっているものである。

 それがために、物理的な準備というものは進めていても、心の準備というものはなかなか整わないものである。
 祝い事はその主催者において、準備する期間があるから失敗は許されないが、このような意味からすると、忌み事は突然のことであるから、少々の疎滞があっても容認され、許されるものである。よって参列者が、その葬儀に目にあまる失策があっても、故人関係者の心の中をおもんばかり、その非を指摘することは厳禁である。


 2 葬儀の形式と日どり


 葬儀の形式は、宗教上のことであるから微妙であり慎重を要する。
 葬儀といえば、仏式という概念があるが、神式、キリスト教式、無宗教等々あって、その選定は故人やその一家の信仰から、よく考えて決定すべきである。また仏式といっても、宗派などの区別があり、宗派が違うと祭壇からお経のあげ方、すべて作法が異なるので、この点にも留意しなければならない。菩提寺すなわち願い寺が遠い場合は、葬儀社に依頼すれは、同宗派の僧侶を紹介してくれる。

 日どりのきめ方は、まず友引を避けるという習慣があるので、留意するべきである。一般には亡くなった日の夜を内通夜、翌日の夜を通夜とし、さらに翌日から三日以内くらいの日を選んで、葬儀、告別式を行う。遠方からの親族の到着を待つ場合とか、友引の関係から、一日か二日ずらすこともある。死後二十四時間たたなければ、法律によって火葬にできないので、亡くなったその日に葬式を出すことは絶対にありえない。年始の時は三が日を過ぎてからすれはよい。
 友引をなぜ避けるかというと、江戸時代からの陰陽道の普及にともなって一般化した六輝、すなわち先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の中で、大安は縁起が良く、仏滅は縁起が悪いといった蕾凶を占うことからきたものである。大安が書日であり、仏滅が凶日であるとする考え方は一面で俗信といえないこともない。なぜならば万人にとって大安がすべて良い日だとは限らないからである。しかし普遍化されたこの種の習俗というものは避けがたいもので、ことさらこれに通らうことはない。

友引というのも、もともと相引で勝負なしということで、朝晩が青で昼は凶ということだったのが、友引という文字から友を引くと拡大解釈し、この日に葬儀を出すと死者が他人を引っばっていくという考えが生まれた0そのために他人が避けるため、友引に葬儀を行わないのが無難と考えたのである。
実際問題として、火葬場が開いてない場合が多く、僧侶や葬儀社もこの日を休日にあて、他の用事に転用している場合が多いため、避ける方がいい。

 3 密葬と本葬

 親しい老だけが密かに火葬までの儀式を済ませておいて、改めて対外的に通知を出してもう一度葬儀を行う場合がある0前者が密葬で、後者が本葬である。
 故人が社会的に地位が高いとか僧侶である場合、対外的なことを考えて葬儀の規模が大きくなることがある0このような場合、密葬と本葬とを分ける必要がある。また年末年始に死亡したとか、外国や遠方で不慮の事故にあって死亡したとか、時期的にまた距離的に特別の事情が生じた場合に、密葬と本葬と分けることがある。
 密葬の場合は一般的に家庭的であり、本葬の場合は社会的になるので、後者の場合は設備の整った斎場が適当である。大邸宅であっても設営には相当の費用を要するし、昨今の交通事情、駐車問題などを考えると、実際には斎場を利用する方が何かにつけて便利である。
 斎場以外にもっとも身近で、手近なところは願い寺であり、近隣の寺院である。


 4 不幸を前にして


 死が避けられないものとわかったとき、まず必要なことは心の準備である。それが肉親や親しい人である場合、悲しみや寂しさが先にたって、なかなか心の整理がつかぬものであるが、それを乗り越えたある時点において、確固たる「覚悟」が必要である.
 喪主にあたるような立場のものが動転したりすると、周囲のものも慌てることになるので、心すべきである。「覚悟」ができ、心の準備が整ったところで着手することは次なるものの準備である。
 近年、葬儀社が一切をとりしきってくれるようになり、当時者の負担は大幅に軽減されたが、それでも通知とか予算とか、当時者のみしかわからないことがいろいろあるものである。
 あらかじめ心の中で、ものごとを整理しておくことがサテというときに、いかに役立つことか。通知先についてもメモしておくことがどれだけ役立つかわからない。心の動揺がある時期であるから、意外な親近者に通知を忘れることもあるので留意したい。


 5 末期の水


 死が決定的と憤り、医師が臨終を告げた時、家族が真っ先にすることは末期の水を含ませることである。「死に水を取る」ともいうが、これは故人と血のつながりの濃い人から順に行われることになっている。一家の主人が死亡した場合は、その妻、長子、次子、親近者という順番である.
 末期の水は新しい筆か割箸の先に脱脂綿を白糸で縛り、これに水を含ませて軽く唇を潤すことになっている。死に水は死者に対する饅であり、ひとつの仏教の儀式である。
 通常、人間の死は心臓の鼓動が停止したと医師が認めた時なされるが、心臓の停止のみで他の機能が完全に止まっていないため、死の確認のため二十四時間おくことになっている。土葬すべく納棺したところ、その直前になって死者が蘇えったとか、伝説めいた詰も伝えられている。医学の発達した現在では、死の判定にそう間違いがあるわけではないが、不可思議な人間の肉体ゆえ、奇蹟に近いこともまったくないとはいえない。


 6 湯浦


 死亡が確認されると、まず死者の目を指で伏せ、合掌させる.次にぬるま湯で遺体を洗い清めるわけであるが、これを湯潅とよぷ。
 昔は大きな湯濃だらいにまず水を入れ、その上に湯を注いだものである。日常生活でこのような湯のぬるめ方をすると、不善といって嫌われるのもそのせいである。湯渡するのは死者が死出の旅に出るので、清めるという意味がある。むかしは死者を丸裸にして、親、兄弟が立ち合って遺体を湯港の中で洗ったものであるが、今ではこのぬるま湯でタオルか布をしぼりそれで体の各部をふいて湯濯したこととしている。アルコールで遺体をぬぐい、鼻、耳、肛門などから汚れものが出ないように綿の栓をつめ、目と口を閉じさせるのも近年の方法である。
 病院で死亡の時は、看護婦さんがやってくれる場合がある。自宅で死亡した場合も医師の指示に従えばいい。湯潅がすめは男性の場合ひげをそってあげ、女性の場合は薄い死化粧をする。病死などでやつれている時は含み綿をしてやって、ふっくらした顔にしてやる。
人間生まれた時に産湯を使い、死亡時に湯潅をするということはひとつの運命といえよう。


 7 死装束


湯潅が終わったら経椎子を着せる0この経椎子は故人とゆかりの深い女性が集まって縫い、それもできるだけ多くの人の手で縫いあげることが習慣とされている。縫糸の尻をとめず、縫い終わったところの糸も結ばぬようにするのが常である。しかしこれは現在ではあまり必要でなく、故人が生前好んで着ていた着物を着せ、葬儀社が用意した紙製の経椎子をかける程度である。
 多くの人が西国三十三カ所や近幾二二十六不動等霊場巡りをし、白木縞の着物に法印をもらっているのをよく見かけるが、この白木綿の着物が死出の族に着用するものである。装束ほ左前に合わせて着せ、頭には三角布、手足には脚半、手甲、自足袋とわら草履を履かせる。そして別に履き替え用の草履も用意する。胸には頭陀袋をかけ、手には念珠をもたせる。
 六文銭を用意してこれを持たせるが、これは仏教における六道を輪廻するときの路銀という意味が含まれているが、普通これを三途の川を渡る時の渡し賃としている。
 現在では、手に念珠を持たせ、少額のお金または六文銭と書いたものを持たせる程度である。


 8 枕元の準備


 遺体の枕元には小さな机を置き、屏風は逆さまに立てる。机は白木の台が望ましいが、なければ小机に白布をかける。机の上には一膳飯、水、燭台、香炉、お花、団子を供える。
一膳飯は仏前飯ともいい、茶碗にご飯を山盛りにして箸を垂直に立てる。お花は一輪差しである。仏具はとりあえずの場合は、日頃仏壇で使っているもので間に合わせるが、葬儀社が来れば飾り直してくれる。線香とろうそくは、一本ずつ絶やさないようにする。一膳飯の茶碗は故人が日常使っていたものを使う。団子は枕団子ともいい、米の粉をこねてゆであげ、白紙をひいた白木の三方にのせて供える。
 そこで僧侶を呼んでお経をあげてもらう。これは枕経といっているが、初のお経であり、故人を仏の御座におく大切なお経である。遺族は僧侶の後ろに控え、故人の冥福を祈る。
 なお、現在では枕団子など省略されている場合もある。


 9 北枕(枕なおし)


死装束をつけ終わった遺体は、北を枕とし寝かせる。これは釈尊が亡くなられた時、頭を北に、顔を西に向けられていた姿をかたちどったもので、これを「頸北面西」といって経文にも書かれている・北枕で寝るのを忌み嫌うのもここらに理由がある.
合掌させ、手は胸のあたりに念珠を持たせ、顔は白布で覆う。清潔な敷布団、薄い掛布団を用意する0この場合純白を選ぶ0また刀を布団の上または遺体の胸あたりに置くわけだが、これは武士の風習の名残りと魔除けの意味がある。現在では小刀、剃刀、はさみを用いている。
葬儀社が用意してくれる袋に入れた木刀を用いる時もある。これは残された遺族が悲しみのあまり、この刃物で命を絶ったりする事故を防ぐ意味があるといわれている。なお刃は反対側に向けるのが普通である.
 遺体を北枕にすることを枕なおしといっている。


 10 納棺と整理、整頓


 死装束が終わり、遺体は納棺される0葬儀社による祭壇の準備が終わり、遺体も安置される
わけであるが、柁の蓋の釘打ちはしないことになっている.
 納棺の時、故人が特に愛用していたもので、火葬の時燃えやすいものを同時におさめる。子供なら玩具炉や、女性であればハソドバッグなど入れるわけであるが、出棺の時に花を入れたりするから、その時のことも考えて納棺すべきである。神棚は扉を閉め、白い紙をはって封ずる。
 不幸が起きると、心の乱れと共に家の乱れが起きるものである。家の中の整理、整頓には心を配りたいものである.
 なお神棚の慶を閉め白い紙をはったり、時には演写真のある額にも紙をはったりするところがあるが、これは神聖なものに死という積れが及ばないように配慮するということである。そしてその神聖なものに積れが及ぶと、また不幸が起きることを恐れるためである.
 整理、整頓について筆者が体験したことがある。親しいF氏が交通事故にあって不慮の死をとげられたことがある。この時夫人が病院にかけつけられ、その末期を見届けられたわけであるが、元気に家を出られたご主人がわずか一時間後に今は帰らぬ身となられたのであるから、
夫人の心中際するにあまるものがあった。その時家族に臨終を告げる電話を夫人がされたが、その言葉にはまことに教えられるものが多かった。
「今、お父さんは亡くなられました。こんな時にはよく粗相ができるものです.火の用心に気をつけ、来客にも見苦しくないよう準備を整え、お布団を敷いて心してお待ちなさい」
 気丈夫ということもあろうが、自分の主人を失ったこの時に、これだけの心配りのできるこの夫人の、厳たる態度に心から感服した次第である。


 11 通夜


 むかしは死亡してから葬儀を出すまで、幾日も通夜したものであるが、近年は葬式を出す前夜にするのが一般的である。親類や知人など故人とごく親しい関係にあるものが一夜を過ごし、故人の霊を慰め、お守りするのが通夜の意味である.
 通夜は僧侶の枕経が終わったあと行われるが、時刻は夕食の終わった七、入時頃が適当といえる。僧侶の読経に続いて、近隣の人や観音講などによる読経やご詠歌が唱和される。この風習は地方によって異なるが、通常一般の弔問客は通夜の読経が終わり次第退席すれはよい。そのきっかけは遺族か世話人が作ればよい。遺族や世話人のあいさつがひとつのくぎりになる。
一般の弔問客が帰ったあとで、親しい人の間で夜食や酒宴が行われるのが常である。通夜は遺族にとって精神的、肉体的に非常に疲れるものだから、周囲の人はいたわりの配慮がほしい。全員がいくらかでも睡眠がとれるよう交替で寝起きするようにしたい。故人が病人であったような場合、看護疲れのうえに通夜の疲労、そして心労が重なったために、故人の後を追ったという話がよくある。
 また、通夜に火事を出すという二重の悲劇も少なくない。これは近親者が疲労のため熟睡するためであり、また勝手のわからない人が家の中を取り仕切ることにも原因がある。ガスや火の不始末はこのような時に起きるものである。責任ある立場の老は、特に火の気には気をつけたいものである.


 12 死亡証明書と支払い


 死亡証明書は死亡時に医師が用意してくれる。これは死亡届けや埋葬許可(火葬許可)などに必ず必要なものだから、責任ある立場のものが保管すべきである。
 事故死の場合は医師から警察に連絡し、検死官の調査があって、自・他殺その他の疑義がなくなって初めて死亡証明書がでる。これは法的なものでおこたってはならない。
 故人の記録を残しておくことも考え、死亡証明書は三通ばかり書いておいてもらうと、のちのち役立つものである。
 死亡届は原則として七日以内にする。
 医師や病院への支払いは、できるだけ早く済ませるべきである。遺族としては医師や看護婦、付添いなどの看護について、病人が死亡してしまったために不満や恨み事などいいたくなるが、これは寿命と考え、支払いはむろん、特に世話になった人には相応のお礼をするのが礼儀である。近年、付添いや看護婦の態度に不満が多いが、看病というものは肉親であってもなかなか心労の多いものである。これをお金を払うとはいえ、他人様がやってくれるのだから、不満の心をもつ前に、感謝の気持をもちたいものである.


 13 喪主の決定と相談相手


一家に死者が出るということは、想像以上の混乱と繁雑さを招くものである。特にそれが一家の主人であった場合、中心的存在を失ったいま、遺族はどうして良いかわからないくらいうろたえるものである。 
そこでまず、良き相談相手を選ぷことである。年長者で経験があり、公平な立場で物事を決められる人で、関係者に対して発言力をもっていれば鬼に金棒である。
 喪主は配偶者か近い血縁者から選ぶ。むかしは家族制度の関係から、一家の主人が死亡した場合、長男が当然のように喪主になっていたが、いまでは妻がなる場合もある。
 葬儀の規模が大きい場合は、喪主以外に葬儀委員長を決めることが必要になってくる。葬儀委員長は名俵上だけの場合と実質的にすべてを一任する場合とがあるが、なんといっても真の当事者は喪主である。その点、よく意思の疎通をはかるべきである。
 相談相手とともに必要なのは世話方である。当日の采配をはじめとして、事務的な役割を担当してもらう人である。人の出入りが多くなるから、依頼するなら役割を明確にしてまかせるとともに、訪問客と面識のある人がよい.


 14 葬儀社との交渉


 葬儀は突然のことが多いので、不行き届きがちであってもある程度許されるし、またその不備を批判する人は不謹慎といわれている。しかし多くの人が集まることでもあり、疎漏がないことにこしたことはない.そこで専門家にまかせるが良策ということになる.
 葬儀社とのうち合わせ諸事項を次にあげる.

  葬儀の形式
  経費
  告別式の日時
  火葬場への事の準備と乗車順序
  通夜の日時
 納棺および飾りつけの準備明細と日時
 飾りつけの部屋およぴ一般焼香の場所
 寺(僧侶) への連絡、その人数、戒名、お布施など
 役所への届出
 町内、親戚、知人などへの通知
 通知状の印刷
 会葬の礼状印刷
 故人の写真引き伸ばし
 生花、花輪などの受付
 喪服、胸章、腕章について
 夏期の場合、ドライアイスなどの手配
 祭壇のお供えもの
 ろうそく、線香、枕だんご、半紙、一臍めし、水、一本花など枕もとの小物
 アルコール、脱脂綿、死者の枕もとに置く刀、物
 通夜の準備(弔問客への料理、食卓、食器、座布団、外燈の用意)
 受け付け用具(机、椅子、預かり台、合札、テソトなど)
 受け付け場所
 係員の配置
 出棺時の手順
 喪主のあいさつ(出棺時)
 心づけ(霊柩事運転手、随行革の運転手、火葬場の係員、その他)
 火葬場茶屋の使用料および茶菓子
 火葬場から戻ってからの接待、お済めの塩
 交通整理のための警察への連絡
 駐事場の確保
 出棺時の子どもに配る菓子
 料理屋の選定
 記録への配慮(写真、8ミリカメラ、VTR、録音など)
 忌中札

公葬、社葬などの場合と、密葬、本葬を行う場合とでは、打ち合わせ事項も変わってくる。
また宗派上の問緩もあるが、その点については率直な相談をすることである。
出棺時のあいさつ一つとっても、喪主が非常に負担を感ずる場合がある。人前で話したこともないのに、しやべらなくてはいけないという精神的負担と、家族を失った悲しさの心理が交錯して困るのが普通である0そのような時は葬儀社に相談するとうまく取り仕切ってくれるものである.


 15 通知


先に「不幸を前にして」の項に、心の準備と物の準備が必要と書いた。いよいよ死亡が確定するとこれが役立ってくる。
 通知はなるべく早く、手際よくする必要がある0そのために通知先は親族、友人、商売関係など項目別に分類し、無駄のないよう、またもれることのないようにしなけれはならない.町内への案内も重要なことである.
 連絡の方法は、電話、電報、使いなどがある0通知先が多く、物理的に連絡不能の場合は、親族から親族へ、知人から知人へと連絡してもらうよう頼むのも一つの方法である。もし相手先にとって、死亡通知がショックが大きい場合は、まず危篤の電報をうち、次に死亡の通知をするといったこまやかな配慮も必要である。
病死の場合などは、その容態の進行の具合などで、ある程度準備ができているが、突然の死亡の場合は、ただただ混乱するはかりとなる。欠落や重複が起きないよう気をつけるべきである。常日頃、連絡のための一覧などができていると非常に役立つのである。


 16 告別式と葬儀


 元来告別式と葬儀は違うものであるが、いまでは葬儀からそのまま告別式に移る場合が多いようである。葬儀はまず僧侶の読経にはじまり、宗派によって死者に引導が渡される。次に弔辞が読まれ、再び読経が行われる。焼香もこの時から始まる。
 告別式はいまでは約一時間である。終わると棺のふたをずらして、遺族、近親者との最後の対面となる。仏前にそなえられた供奉を一輪ずつ入れて、遺体を花で飾るところもある。
 次に出棺である。遺族、近親者の中で、カのあるものがもちあげ霊柩車に運ぶ。喪主は故人の位牌をもち、次の人が写真をもってつづく。香盆、骨箱、だんご飯、燭台を分けてもって続くのが本来の形であるが、現在では位牌と写真とか、何ももたないとかさまざまである。
 霊拡事につづく恢は、故人との血の濃い順につづく。むかしの野辺送りのかわりである。火葬場へ行く人たちの人選については、あらかじめ決めておかないと混乱する。特に火葬場が遠い場合、革の台数がたりなくても困るし、多過ぎても困るものである。
′故人の近親者が自家用車で関係者を火葬場へ運ぶ場合もあるが、なるべくこれは避けたいものである。費用の軽減にはつながるが、心が動転している時でもあるので、うっかりすると交通事故を起こしやすい。


 17 予算


 葬儀は相当お金がかかるものである。葬儀の規模にはまさにピンからキリまであるが、その決め方は、故人の社会的立場などをよく考慮して親族問で決めるのがふさわしい。
 会葬御礼の晶ひとつをとってみても、無駄のないようにしたいものである。会葬老の人数を何人と予測するかは、まことにむずかしいものだが、足りなけれは格好がつかない。だからその品物は、あまった場合は引き取りが可能なものにすべきである。
 故人や世間に対する配慮から、無理な金をかける人がいるが、その気持はわかるにしてものちのち苦しむようなことはさけたい。金をあまりかけないことが、故人を粗末にしたことには直接つながらない。金をかけることが故人へのたむけとはいい切れないのである。要は喪主や親族、関係者の心の問窺である。