T 身近に親しまれている仏さま
l 仏さまについて
私たちが通常仏さまと呼ぶところの仏像は、仏典の経軌(経典と儀軌)転もとづいている。
仏教信者にとってそれは、信仰の対象であり心のよりどころでもある。過去、現在、未来の三世に、それぞれ千の仏があると考えるから三世三千仏ともいう。
ところでこの仏さまの中にも、人気のある仏さまとほとんど知られていな心仏さまとがある。東南アジア諸国の寺院を参拝したときのことであるが、−方の仏さまには線香が供えられ、供物があげられているのに、おとなりの仏さまには何もないというところがあった。寺僧にたずねたところ、やはり仏さまにも人気、不人気があるのでしょうということであった。
本草はこの仏さまについてのべるわけであるが、その範囲がまことに広いところから、人気、不人気というより、より親しまれている仏さまを中心に解説を加えてみたい。
仏像は人間が心に描く理想を表現しているところから、その時代の最高の技術と感覚でつくられ、美術的な価値も高い。そして作家の心がこめられているところから、おのずと礼拝するものの心をうつのである。
2 阿弥陀如来
阿弥陀如来信仰はひろく、いまでも盛んである0特に極楽浄土の思想によるところが大で、阿弥陀仏を信ずるもの必ず極楽浄土に往生できるとされている。
ふつう人間が来世において果報を得るためには、現世において篤行をつみ、その結果として極楽往生すると説くのであるが、阿弥陀如来信仰においては、念仏の功徳、すなわち「南無阿弥陀仏」をとなえ一心に念ずることによって、他力によって往生できると説いているのである。
無量寿経に説かれるところでは、四十入の誓騎を成就した法蔵比丘が長い時を経て阿弥陀仏となり、理想世界である西方極楽浄土をたてられる0それは現在もそこにあって説法教化しておられると説く。阿弥陀信仰によれば、死者を迎えるにあたってはその人の信仰の度合いによって九通りの迎え方があるとされ、生前に信仰厚く、念仏をよくとなえたものは最高の迎え方をしてくれるというのである。
空也上人、一遍上人が念仏の功徳をひろくひろめたところから、この念仏の信仰者が急速に増加したといわれている。
3 釈迦牟尼仏
仏教の開祖で、いまから二千五官入十年ほど前、西暦紀元五六五年にインドの迦毘羅城主の皇太子として生まれられた。
母は摩郁夫人で、四月入日ルソビこ園の樹の下で誕生されたとき、生まれながらにして七歩を歩まれ、「天上天下唯我独尊」といわれたと伝えられている。生後七日にして母を失い、その後は伯母に育てられたが、幼名をゴークマといい、悉達多太子ともいった。
釈迦というのは元来民族の名前で、釈迦族という豪族がその当時、迦昆羅城という一国を支配していた・釈迦牟尼仏の牟尼というのは静かな悟りの境地に達した聖者という意味である.
鹿野苑で五人の比丘に説法したが、これを初転法輪という0その後、阿閣世王などの帰依を得て、祓園精舎をはじめ竹林精舎のたくさんの寺を建立され、四十五年間イソド各地を説法して歩かれた。
紀元前四入六年二月十五日、クシナガラ市郊外のバダイ河のほとり婆羅双樹の樹の下で入滅されたが、これを釈迦の入捏築と呼ぶ・入減されたあと弟子たちが集まって在世中教わったものを集め、記録したのがお経である.
その後その教典を根本聖典とし、多くの高僧たちが釈迦の精神をくんでひろめられた。それがインド、中国、南方アジア、日本などに広範囲に渡って宗影響を及ぼし、現在に到るのである.
4 薬師如来
薬師瑠璃光如来ともいう。また別の名を大医王仏という0衆生の心身の万病を治すから薬師という。
奈良には有名な薬師寺があって、現在法相宗の大本山となっている。この仏に帰依すれは病気が治り、寿命が延び、着るものや食べるものにも不自由しないようになるといわれている。
薬師如来には十二の本願があって、その十二願を十干十二支にあてはめて、薬師十二の神将というのがある。
縁日は入日である。
5 毘虞遮郡如来
大日如来は毘慮遮郡如来ともいう。太陽を神格化した仏で、すべての仏の中心と目されている。一切のものの根本で、時間も空間も因果も、すべての制限を超越している。
毘慮遮郡とは光り輝くという意味で、煩悩の闇を除き、知恵の光を増すということを教えている。宇宙の諸々の現象はこの大日の変現したもので、水の青も鳥の声もそのままが大日の声であり姿であると考える。いうなれば絶対平等の真理そのものであり、一功のものを内に秘める仏身である。
大日には、智恵を中心とする金剛界と、平等界の理を中心とする胎蔵界の二方面がある。
6 観世音菩産
不動信仰と同様、もっとも庶民に広く信仰されているものに、観世音信仰がある。それを物がたるかのように震三十三カ所、西国三十三カ所、秩父三十三カ所、房州三十三カ所、会津三十三カ所と多くの霊場がある。
観世音の誓いうのは知恵の光で、すべてを見通して知りつくし、人びとの願いをきかれる
というところからついている。観音には聖観音、千手観音、馬頭観音、十一面観音、不空羂索観音、如意輪観音を数え、これを六観音という。不空羂索観音の代わりに准胝観音を数えることもある。またこれをあわせて七観音ともいう。
千手観音は一名大悲観音といって、千本の手をもっているはずであるが、多くの場合四十本であらわしている。これはそれぞれの手が二十五の役割を成し、二十五願の迷いの世界を代表させて、四十本で妄の迷界を超脱することをあらわしている。
馬頭観音は頭の上に馬頭をいただいているもので、馬のように四方を自由に駆けめぐれる徳をあらわしたものである。
十一面観音というのは、仏の位に到達せしめることをあらわしたもので、最高完全な人格を得るようにして下さるのが、その観音といわれている.
不空串索観音は一切の衆生を布施、愛語、利行、同事という四種類の網で救済しつくす観音のことをいい、その網は必ず確実にとられるというところを意味している。
如意輪観音は何事でも思いのままに生むという珠、如意珠と転輪聖王の七宝の第一である金輪とを兼備している菩薩で、どのような衆生の願いも思いのままに満たしてくださる徳を有している。
准胝観音は女性の観音で、ふつう九対の手と三呂の面を有しているが、准脹とは正常という意味である。三日は、惑、業、苦の三種を救う慈眼のことである。
7 文殊菩薩
大乗の詔書薩中、もっとも知恵の秀れた菩薩といわれており、「三人寄れは文殊の知恵」というのもこのためである。
阿弥陀如来の化身といわれ、蓮華の上に座られ、頭の上に大日如来の五智をあらわした五響を結び、右手に智剣をもち、左手には青蓮華をもち、和子奮迅の徳をあらわすために、獅子の座に乗っているわけである。顔は非常に端正で英知をあらわしたものである。
8 普賢菩産
文殊菩撃ともに、釈迦如来の脇士として常時左右にはべる。文殊は左にあって、普賢は右にある。
衆生の生命を延はす徳を有しているので、延命菩薩ともよばれる。
9 弥勒菩薩
弥勒菩慧釈迦の亡くなったのち芋六億七千万年に、再びこの世に出現して、蹴郵撃で成道し、三会の説法をして釈迦の救済に漏れた人を済度するという任務をおびている。
10 地蔵菩薩
警と同様、置利益の仏てものごとに爵強く、大地のように強い決断力をもっている
ので地蔵といわれる。
六道能化の地蔵専といわれ、三界六道中の一切衆生を救済し終わるまでは、大地に踏みとどまって自分は成就しない0衆生憐れむがために、自ら願って成仏しないで地上で修行しているのである。
丸い頭をし、いわゆる地蔵眉毛のやさしい童子姿の地蔵革は、延命地蔵経によったもので、そのほか子育て地蔵、子安地蔵などがあって、地蔵菩薩と童子とはことに関係が深い。これは賽の河原で童子を救済するという伝説によるものである。
12 大弁財天
弁天さまといって親しまれ、商いの神のように思われているが、実は弁舌が巧みであるところから、弁財天とよばれ、歌謡、音楽を司る神とされている。
民間信仰では蛇神さまといわれ、頭上に蛇をいだき、額には鳥居の柱をいただいているP
美しい女神である.
13 大里州天
大黒天は本名を摩詞迦羅といい、大福徳、円満自在菩薩となり、さらに大黒天となって出現されたものである。仏典によると、大黒天の名をとなえて信仰する人は、七世の王女と一族八万有余人の福徳ある人を遣わして十万に遊行し、福徳円満にしようと誓われている。
そのため、大黒天の専像を作ってお堂の中に安置し一家揃って拝むと、家内繁昌疑いなしという。
14 葦駄天
睾駄天は仏法を守る天神で、走ることが速いので、葦駄天走りといわれる。
むかし葦駄天が居眠りをしている間に、悪魔が仏さまの舎利を盗み出したので、睾駄天が驚いてその後から追いかけてそれを取り返したという0それで走至との速いの毒駄天走りというようになった。
15 七福神
恵比寿、大要、毘沙門天、弁笑、福琶寿芙、布袋和尚の七人を七福神といって、インドと支那と日本の神仙を七人集めたものである。
16 金比羅
航海の神として、特に漁師や漁夫たちから信仰を集めているのが金比羅である。
元来はイソドの鰐で絞寵というものを神に奉ったものである。
17 荒神
三宝荒神といい仏法と伽藍を守護する神である。
この神は不浄を嫌い、衰不浄を響払う火を愛し、人家のかまどに住んでいるともいわれ、かまどの神として台所の偶にかざられている。